2007年04月11日
フェデラーを知らないスイス人
もう2年半以上前の話になりますが、代理として一人でアメリカに一週間ほど海外出張したことがあります。
とは言っても、英語の読み書きは一応できても、英語を話す、特に聞き取るのが大の苦手なので、非常に無謀な話でした。 ただ、普段から英語を扱う仕事をしていたので、周りには英語が堪能と思われていたらしく、誰も無謀とは思ってくれなかったのも困りものでした。
当時、うちの会社がある有名なPCソフトの日本代理店だったのですが、その開発元 (アメリカ) が世界各国の代理店を年に 1回召集してミーティングをするというもので、このときの場所はフロリダのキーウエスト。
つまり、リゾートというか、接待のような要素もかなり含まれているのが唯一の救いでした。
出発前に、このミーティングに毎回出席していた社長 (フランス人) が 「英語が母国語ではない人ばかりの集まりで、皆ゆっくり話すから、聞き取るのも全然問題ありません。」 と言っていたのですが、実際は現地でも結構問題ありました
さて、行きの成田空港でチェックインのときに 「飛行機のお座席は、通路側と窓側のどちらがいいですか?」 と聞かれ、基本的にトイレが近いものですから通路側をお願いしましたが、結局用意された席は中央3列の本当にど真ん中。 しかも両隣は大きな外国人 よくよく見ると、日本人はみなど真ん中の列に押し込まれていて、非常に納得行かないものを感じました。
それはまだいいとして、ベッド/布団以外で寝ることができないので飛行機ではまったく眠れないのにアトランタまで 12時間のフライト、しかも両隣は大きな外国人で両側から足が若干はみ出し気味ということで、足を横に広げることもできず、肘掛けに肘を置くこともはばかられ、非常に困りました。 極力飲み物を控えて、おとなしく音楽でも聴いてようと思いましたが、この究極の状態に置かれたときにどのような体質(?)の変化があったのか分かりませんが、殆どの間背筋を伸ばして手を膝の上に置いた礼儀正しい姿勢で眠ってしまいました。 お陰で機内食を全然食べられませんでした。
左隣の白人の人が親切でガムをくれたり、肘掛けを譲ってくれたりしたのですが、その人が映画 「スタスキー&ハッチ」 を見ながら、爆笑していたのが印象的でした
後日、日本でその映画を見て、確かに面白かったのですが、暗殺者の子供が主人公たちにナイフをビシビシ投げるシーンで爆笑するというのはアメリカ人ならではだなと思いました。 アメリカ人と決め付けていますが。
それに対して、右隣の黒人の人は終始近寄りがたい雰囲気 (と言っても隣にいるのですが) を醸し出していました。
乗り継ぎ自体も初めてだったのですが、アトランタ→ニューオーリンズと、飛行機を2回も乗り継いで、キーウエストの小さな空港に着いたときはもう夜で人もまばら、送迎車に揺られた後、ようやく部屋に辿り着いたときはすっかり夜中近くなっていて、お腹は空いていたけれど右も左も分からず、ウェルカムサービスとして部屋に置かれていたスナックとスプライトが妙に嬉しく、それを食べて就寝しました
現地では、開発元の人の何人かとは日本で会ったことがあったし、それ以外の皆さんも全員が非常にフレンドリーだったのですが、如何せん会話が弾みません。 ドイツから来ている人にジャーマン メタルやジャーマン スラッシュの話を振ってみますが、全然知らないし (まあそれはしょうがない)、、、オランダから来ている、ちょっとナルバンディアンに似ている人に 「ナルバンディアンに似てますねー」 と言っても、知らないというし。。。
ジャック・ブラックに似ているイタリア人もいたのですが、本人が喜ばない可能性があるので、言うのは止めておきました
また、せっかく未使用のテニスコートが何面もあるのに、誰一人としてテニスやらないしで、日本人も日本語もまったくない環境に一週間もいて、かなり孤独感を感じました。
最終日のチェックアウト前にちょっとだけ自由時間ができたのですが、解散後なので皆いないし、一人でちょっと泳ぐことにしました。 ところが、ここはウォータースポーツは充実しているのですが、泳ぐことはまったく考慮されていなく、海藻だらけのあまりきれいでない海をちょっと泳ぐだけでやめました。
アメリカ最南端の地に行くのを忘れていた!と気付いたのは帰国後のことです
帰りにキーウエストの空港で、左の写真のスイスから来ていた人と一緒になりました。 やはり、会話がまったく弾まないので、ここぞとばかりに絶対に知っているに違いない地元の英雄フェデラーの話を振ってみました。
このときは 2004年の 8月ですが、すでにグランドスラムを 3回取り、世界ランキング 1位になって半年以上経っていたときだったと思いますので、すでにスイス国内では国民的英雄になっているに違いない!
...しかし、この人はフェデラーを知らなかった
結局、取り止めのない、やはり弾まない話をほんの少しして、アトランタ空港でお別れとなりました。
このときの行きのフライト以来、飛行機に乗るとエコノミーの狭苦しい席であっても席に座った途端に眠くなるという変な体質になってしまいました。 帰りのアトランタ行きの飛行機の中でうとうとしているときに、「ドカーン!」という大きな音とすごい振動があったので、その瞬間にエンジンか何かが爆発したのだと思い、「あ! これは墜落する。。 もうだめだ」 と思いながら目を開けると、目的地に着陸したところでした
帰りはアトランタで一泊だったのですが、アトランタ空港でも大問題が待ち受けていました。 自分を含めた数名の乗客の荷物がなくなってしまったのです。 このときもあまり係員が言っていることが聞き取れなかったのですが、係の黒人女性が何回聞き直してもネイティブな早口で話すのでなかなか話が進まず、それどころかこの期に及んで荷物受け取り場 (飛行機からの荷物が出てくるところ) に連れていかれて、「ここは探したのか?」 と言うからムカーと来て、思わず日本語で 「もちろん!」 と言いそうになって、「も・・・・Of Course!」 と叫んでしまいました
このとき、咄嗟に日本語が出そうになった自分がおかしくなって、半分笑いながら言ってしまったので、相手は変な日本人だと思ったに違いありません。
結局らちが明かず、とにかく明日の朝出直して来いという趣旨を告げられて、トラベラーセットのようなものだけもらって、荷物が何もなく、やることもなく、ビジネスホテルでさびしく過ごしました。 本当はアトランタで買い物しようと思っていたのですが、荷物紛失騒動ですっかり夜になってしまい、気力もまったくなくなって断念。 また、コンタクトレンズの消毒・中和ができなくて非常に困りましたが、お湯に一晩つけて翌朝もお湯で洗ってつけてみたら、何とかなりました。
翌日、心配だったので飛行機のチェックインよりもはるかに早い時間に空港に行ったところ、広ーい荷物置き場のようなところに連れて行かれ、「ここにあるはずだから探してみな」 と言われたものの、いくら探しても見つからないし、その後端末を延々といじった末に 「やっぱり、成田に行ってるわ」 だの、コロコロ言うことが変わって、不安いっぱいだったのですが、何とか成田で再会することができました。 しかし、荷物が開けられた形跡があるだけでなく、閉めたときにジャケットを挟んだまま無理やり閉めた形跡があり、ジャケットに穴を開けられてしまいました
実はこのときの約一ヶ月前にハワイに旅行に行ったのですが、今回のキーウエストも渡航目的をビジネス云々にすると、話が面倒になるので、「観光」 で通したのですが、短期間に二度も観光で米国に入国したのが怪しまれて、荷物をかなり綿密に検査されたのかもしれません。 ジャケットに穴を開けた理由にはならんがな
行きの飛行機でもアトランタ空港でいったん荷物がなくなり、延々と探す羽目になったものの見つからず、最終的に目的地の空港で再会できたのですが、これは乗り継ぎだったので勘違いだった可能性あり
この開発元の会社はその後、某大手ソフトウェア会社に買収されてしまったので、もうこのときのメンバーは皆バラバラになってしまい、残念ながらもう会うことはないと思いますが、数々のトラブルも含めて、今でもこのときの一週間の貴重な経験は忘れられません。 いつか、またキーウエストを訪れてみたいと思っています。 ただ、そのときに泊まったホテル グループから未だに DM メールが来るのですが、去年か一昨年に大きなハリケーンが来て以来、キーウエストのホテルがラインナップに載らなくなってしまいました。 ちょっと心配。
とは言っても、英語の読み書きは一応できても、英語を話す、特に聞き取るのが大の苦手なので、非常に無謀な話でした。 ただ、普段から英語を扱う仕事をしていたので、周りには英語が堪能と思われていたらしく、誰も無謀とは思ってくれなかったのも困りものでした。
当時、うちの会社がある有名なPCソフトの日本代理店だったのですが、その開発元 (アメリカ) が世界各国の代理店を年に 1回召集してミーティングをするというもので、このときの場所はフロリダのキーウエスト。
つまり、リゾートというか、接待のような要素もかなり含まれているのが唯一の救いでした。
出発前に、このミーティングに毎回出席していた社長 (フランス人) が 「英語が母国語ではない人ばかりの集まりで、皆ゆっくり話すから、聞き取るのも全然問題ありません。」 と言っていたのですが、実際は現地でも結構問題ありました
さて、行きの成田空港でチェックインのときに 「飛行機のお座席は、通路側と窓側のどちらがいいですか?」 と聞かれ、基本的にトイレが近いものですから通路側をお願いしましたが、結局用意された席は中央3列の本当にど真ん中。 しかも両隣は大きな外国人 よくよく見ると、日本人はみなど真ん中の列に押し込まれていて、非常に納得行かないものを感じました。
それはまだいいとして、ベッド/布団以外で寝ることができないので飛行機ではまったく眠れないのにアトランタまで 12時間のフライト、しかも両隣は大きな外国人で両側から足が若干はみ出し気味ということで、足を横に広げることもできず、肘掛けに肘を置くこともはばかられ、非常に困りました。 極力飲み物を控えて、おとなしく音楽でも聴いてようと思いましたが、この究極の状態に置かれたときにどのような体質(?)の変化があったのか分かりませんが、殆どの間背筋を伸ばして手を膝の上に置いた礼儀正しい姿勢で眠ってしまいました。 お陰で機内食を全然食べられませんでした。
左隣の白人の人が親切でガムをくれたり、肘掛けを譲ってくれたりしたのですが、その人が映画 「スタスキー&ハッチ」 を見ながら、爆笑していたのが印象的でした
後日、日本でその映画を見て、確かに面白かったのですが、暗殺者の子供が主人公たちにナイフをビシビシ投げるシーンで爆笑するというのはアメリカ人ならではだなと思いました。 アメリカ人と決め付けていますが。
それに対して、右隣の黒人の人は終始近寄りがたい雰囲気 (と言っても隣にいるのですが) を醸し出していました。
乗り継ぎ自体も初めてだったのですが、アトランタ→ニューオーリンズと、飛行機を2回も乗り継いで、キーウエストの小さな空港に着いたときはもう夜で人もまばら、送迎車に揺られた後、ようやく部屋に辿り着いたときはすっかり夜中近くなっていて、お腹は空いていたけれど右も左も分からず、ウェルカムサービスとして部屋に置かれていたスナックとスプライトが妙に嬉しく、それを食べて就寝しました
現地では、開発元の人の何人かとは日本で会ったことがあったし、それ以外の皆さんも全員が非常にフレンドリーだったのですが、如何せん会話が弾みません。 ドイツから来ている人にジャーマン メタルやジャーマン スラッシュの話を振ってみますが、全然知らないし (まあそれはしょうがない)、、、オランダから来ている、ちょっとナルバンディアンに似ている人に 「ナルバンディアンに似てますねー」 と言っても、知らないというし。。。
ジャック・ブラックに似ているイタリア人もいたのですが、本人が喜ばない可能性があるので、言うのは止めておきました
また、せっかく未使用のテニスコートが何面もあるのに、誰一人としてテニスやらないしで、日本人も日本語もまったくない環境に一週間もいて、かなり孤独感を感じました。
最終日のチェックアウト前にちょっとだけ自由時間ができたのですが、解散後なので皆いないし、一人でちょっと泳ぐことにしました。 ところが、ここはウォータースポーツは充実しているのですが、泳ぐことはまったく考慮されていなく、海藻だらけのあまりきれいでない海をちょっと泳ぐだけでやめました。
アメリカ最南端の地に行くのを忘れていた!と気付いたのは帰国後のことです
帰りにキーウエストの空港で、左の写真のスイスから来ていた人と一緒になりました。 やはり、会話がまったく弾まないので、ここぞとばかりに絶対に知っているに違いない地元の英雄フェデラーの話を振ってみました。
このときは 2004年の 8月ですが、すでにグランドスラムを 3回取り、世界ランキング 1位になって半年以上経っていたときだったと思いますので、すでにスイス国内では国民的英雄になっているに違いない!
...しかし、この人はフェデラーを知らなかった
結局、取り止めのない、やはり弾まない話をほんの少しして、アトランタ空港でお別れとなりました。
このときの行きのフライト以来、飛行機に乗るとエコノミーの狭苦しい席であっても席に座った途端に眠くなるという変な体質になってしまいました。 帰りのアトランタ行きの飛行機の中でうとうとしているときに、「ドカーン!」という大きな音とすごい振動があったので、その瞬間にエンジンか何かが爆発したのだと思い、「あ! これは墜落する。。 もうだめだ」 と思いながら目を開けると、目的地に着陸したところでした
帰りはアトランタで一泊だったのですが、アトランタ空港でも大問題が待ち受けていました。 自分を含めた数名の乗客の荷物がなくなってしまったのです。 このときもあまり係員が言っていることが聞き取れなかったのですが、係の黒人女性が何回聞き直してもネイティブな早口で話すのでなかなか話が進まず、それどころかこの期に及んで荷物受け取り場 (飛行機からの荷物が出てくるところ) に連れていかれて、「ここは探したのか?」 と言うからムカーと来て、思わず日本語で 「もちろん!」 と言いそうになって、「も・・・・Of Course!」 と叫んでしまいました
このとき、咄嗟に日本語が出そうになった自分がおかしくなって、半分笑いながら言ってしまったので、相手は変な日本人だと思ったに違いありません。
結局らちが明かず、とにかく明日の朝出直して来いという趣旨を告げられて、トラベラーセットのようなものだけもらって、荷物が何もなく、やることもなく、ビジネスホテルでさびしく過ごしました。 本当はアトランタで買い物しようと思っていたのですが、荷物紛失騒動ですっかり夜になってしまい、気力もまったくなくなって断念。 また、コンタクトレンズの消毒・中和ができなくて非常に困りましたが、お湯に一晩つけて翌朝もお湯で洗ってつけてみたら、何とかなりました。
翌日、心配だったので飛行機のチェックインよりもはるかに早い時間に空港に行ったところ、広ーい荷物置き場のようなところに連れて行かれ、「ここにあるはずだから探してみな」 と言われたものの、いくら探しても見つからないし、その後端末を延々といじった末に 「やっぱり、成田に行ってるわ」 だの、コロコロ言うことが変わって、不安いっぱいだったのですが、何とか成田で再会することができました。 しかし、荷物が開けられた形跡があるだけでなく、閉めたときにジャケットを挟んだまま無理やり閉めた形跡があり、ジャケットに穴を開けられてしまいました
実はこのときの約一ヶ月前にハワイに旅行に行ったのですが、今回のキーウエストも渡航目的をビジネス云々にすると、話が面倒になるので、「観光」 で通したのですが、短期間に二度も観光で米国に入国したのが怪しまれて、荷物をかなり綿密に検査されたのかもしれません。 ジャケットに穴を開けた理由にはならんがな
行きの飛行機でもアトランタ空港でいったん荷物がなくなり、延々と探す羽目になったものの見つからず、最終的に目的地の空港で再会できたのですが、これは乗り継ぎだったので勘違いだった可能性あり
この開発元の会社はその後、某大手ソフトウェア会社に買収されてしまったので、もうこのときのメンバーは皆バラバラになってしまい、残念ながらもう会うことはないと思いますが、数々のトラブルも含めて、今でもこのときの一週間の貴重な経験は忘れられません。 いつか、またキーウエストを訪れてみたいと思っています。 ただ、そのときに泊まったホテル グループから未だに DM メールが来るのですが、去年か一昨年に大きなハリケーンが来て以来、キーウエストのホテルがラインナップに載らなくなってしまいました。 ちょっと心配。