2011年03月06日
ワイズで初優勝
土曜日は昭和の森でのワイズの男ダブ (Kea CUP ビギナーズ ダブルスリーグ) に出場しました。 パートナーは H原君。 最近はルーデンスのダブルスで対戦することの方が多く、組むのは約2年ぶり。
うちのブロックでドタキャンが出たため、3組総当りの後、もう一つのブロックの同順位と対戦という変則ルールになりました。
予選は 6-2、6-2 で1位通過。 こちらは試合数が少ない上に進行が早かったため、もう一つのブロックの試合を長いこと見ることとなりましたが、うちのブロックよりも明らかに高レベル。 H原君は 「レベルが 2つくらい上」、「0-6 かも」 などと弱気の発言。
もう一つのブロックで 2勝0敗のペアよりも明らかに強そうに見える 1勝1敗のペアがいたのですが、その見立て通り結果的に 2勝1敗が 3ペアとなり、得失ゲーム差で決勝の相手はその一番強そうに見えたペア。
しかも、サーブを打つサイドを予め決めておいたせいで、今日サーブが最悪の調子の自分が一番最初にサーブを打つ羽目に。
そして、出だしでいきなり 4ゲーム連取されてしまいます。 久々にサーブがおかしくなって、トスもよく失敗してしまいましたが、5ゲーム目で何とかキープ。 1ゲーム取れたことで二人で喜び、「あと 3ゲーム取るぞ!」 と言ってみたものの、内心 「難しいだろうなあ」 と思っていました。
ただ、1ゲーム取って落ち着いたのか、ミスも減り流れが良くなってきて 3ゲーム連取、1ゲーム取られて 3-5。 ここでまた自分のサーブが来てしまいました。 ここも 40-40、相手のマッチポイントまでいったのですが何とかキープ。 これで流れを掴んだのか、次の相手のサーブをラブゲームでブレーク。 遂に 5-5 で並びました。 ここで、H原君のサーブ。 唯一、先にサーブを打っておいて良かったと思った瞬間です。
このときにはもう流れがこちらにあるなあとひしひしと感じながらのプレー、40-30 でマッチポイントを1本逃し、1回目のデュース、2回目のマッチポイントでは確か自分がボレーをミスって、2回目のデュースへ。 ここでまたしても自分がボレーをミスして相手のマッチポイント。 しかし、何とかしのいで次のデュースから 2ポイント連取。 最後の方はどういう風にポイントを取ったか全然覚えていないのですが、最後は H原君のサーブでゲーム。
何かこうやって書いてみると、自分が足を引っ張りっ放しのように見えますが。
ワイズの試合 55回目の出場 (過去シングルス34回、ダブルス20回) で、遂に初優勝でした。
うちのブロックでドタキャンが出たため、3組総当りの後、もう一つのブロックの同順位と対戦という変則ルールになりました。
予選は 6-2、6-2 で1位通過。 こちらは試合数が少ない上に進行が早かったため、もう一つのブロックの試合を長いこと見ることとなりましたが、うちのブロックよりも明らかに高レベル。 H原君は 「レベルが 2つくらい上」、「0-6 かも」 などと弱気の発言。
もう一つのブロックで 2勝0敗のペアよりも明らかに強そうに見える 1勝1敗のペアがいたのですが、その見立て通り結果的に 2勝1敗が 3ペアとなり、得失ゲーム差で決勝の相手はその一番強そうに見えたペア。
しかも、サーブを打つサイドを予め決めておいたせいで、今日サーブが最悪の調子の自分が一番最初にサーブを打つ羽目に。
そして、出だしでいきなり 4ゲーム連取されてしまいます。 久々にサーブがおかしくなって、トスもよく失敗してしまいましたが、5ゲーム目で何とかキープ。 1ゲーム取れたことで二人で喜び、「あと 3ゲーム取るぞ!」 と言ってみたものの、内心 「難しいだろうなあ」 と思っていました。
ただ、1ゲーム取って落ち着いたのか、ミスも減り流れが良くなってきて 3ゲーム連取、1ゲーム取られて 3-5。 ここでまた自分のサーブが来てしまいました。 ここも 40-40、相手のマッチポイントまでいったのですが何とかキープ。 これで流れを掴んだのか、次の相手のサーブをラブゲームでブレーク。 遂に 5-5 で並びました。 ここで、H原君のサーブ。 唯一、先にサーブを打っておいて良かったと思った瞬間です。
このときにはもう流れがこちらにあるなあとひしひしと感じながらのプレー、40-30 でマッチポイントを1本逃し、1回目のデュース、2回目のマッチポイントでは確か自分がボレーをミスって、2回目のデュースへ。 ここでまたしても自分がボレーをミスして相手のマッチポイント。 しかし、何とかしのいで次のデュースから 2ポイント連取。 最後の方はどういう風にポイントを取ったか全然覚えていないのですが、最後は H原君のサーブでゲーム。
何かこうやって書いてみると、自分が足を引っ張りっ放しのように見えますが。
ワイズの試合 55回目の出場 (過去シングルス34回、ダブルス20回) で、遂に初優勝でした。